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  3. 上杉景勝と直江兼続が学んだ寺【雲洞庵(うんとうあん)・新潟県南魚沼市】
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「歩くだけで仏の功徳がある」と伝わる参道の石畳が残る雲洞庵は、幼き上杉景勝と直江兼続が学んだお寺です。禅の修行場としても知られる雪に囲まれた静かなお寺は、戦国時代に名を残したふたりの少年が出てきそうな雰囲気でした。


南魚沼のコシヒカリの田んぼを抜けて行く山麓に雲洞庵がありました


雲洞庵に残る最古の建物である鐘楼は元禄4年(1691年)に建立されました


尼僧が霊水を見つけて村人を癒したと伝わるだけに水がこんこんと湧いています

ここ10年のNHK大河ドラマを振り返ってみましょう。

昨年の『八重の桜』が平均視聴率14.6%。12年『平清盛』12.01%、11年『江』17.7%、10年『龍馬伝』18.72%、9年『天地人』21.18%、8年『篤姫』24.44%、7年『風林火山』18.69%、6年『功名が辻』20.93%、5年『義経』19.46%、4年『新撰組!』17.41%、『武蔵-MUSASHI-』16.66%…。

ドラマ視聴率低迷の時代といわれる昨今、『半沢直樹』のような超ヒット番組があるものの、以前より平均視聴率が下がっているそうです。
そのなかで、NHKの大河ドラマは安定した視聴率を誇っています。

それでも、12~24%越えまでばらつきのあるのがわかります。
視聴率を見れば、一般の人はどの時代が“好み”なのか、おぼろげながら見えてきますし、題材になる時代が見えてきます。
それは戦国時代と幕末です。

ここ10年でも戦国時代武将が主人公の『天地人』が21%、『風林火山』が18%を越え、幕末をテーマにした『龍馬伝』が18%、『篤姫』が24%を超えています。

過去の大河ドラマの最高視聴率を調べると、87年の『独眼竜政宗』が第1位で39.7%、88年の『武田信玄』が39.2%で続き、戦国武将ドラマの人気の高さがわかります。

今年の大河ドラマが戦国時代の武将を主人公にした『軍師官兵衛』になったのも、こうした過去のデータがあるからでしょう。

さて、この10年の大河ドラマで『篤姫』に次ぐ視聴率を獲得したのが『天地人』で、兜の前立てに「愛」の文字を使った上杉藩武将・直江兼続を主人公にしています。

その直江兼続が生まれたのが新潟県南魚沼市(湯沢という説もあります)で、幼き頃に修行をしたのが「雲洞庵」なのです。


赤門から続く参道。ここを踏みしめて歩けばご利益が期待できます


本堂は室町時代に上杉憲実公によって建立されました


本堂の欄間は美しく、さまざまな物語が描かれています

雲洞庵は「日本一の庵寺」と呼ばれています。そもそも庵寺とは比丘尼(びくに)の止住するお寺のことです。

約1300余年前、越後の寒村に旅の尼僧が訪れ、山より湧き出る霊水で人々を救いました。そして、庵を立てて住み始めました。その後、西暦717年には薬師如来をたずさえた藤原房前公が訪れ、薬師如来を本尊とする金城山雲洞庵を建立します。

さて、このお寺には「雲洞庵の土踏んだか」という言い伝えがあります。歩くだけで仏の功徳が得られる参道の石畳があるのです。

赤門から本堂まで続く石畳。敷石の下には法華経を一石一字ずつ書いた小石が敷きつめられています。石畳を一歩一歩踏みしめて参拝すれば、罪業消滅、万福多幸のご利益があるというわけです。

戦国時代、赤門は年に一度しか開かれませんでした。そのために、その時期に多くの人たちが参拝に訪れました。

現在では通年で開門されてはいるのですが、積雪が多い地域のために、降雪時期は安全性などを配慮して通れなくなっています。私が訪れたときも降雪で通行はできませんでした。

それでも、敷石の下に法華経が書かれた石があると思うと、なんとなく神聖な気持ちになりました。

雲洞庵は禅寺としても知られています。まだ「喜平次」と呼ばれていた上杉景勝、「与六」と呼ばれていた直江兼続は少年期に雲洞庵で学問を学んでいます。「愛」を前立てにしたのは、ここで高僧に学んだことに由来するという説もあるほどです。

戦国を代表する武将は、少年期に森に包まれた静かなお寺で座禅を組み、修行に励んだのでしょう。

ちなみに、雲洞庵では写経と座禅体験も受け付けています。本堂の広間あるいは座禅堂でそれができるのです。基本は10名以上の団体での受け付けとなりますが、関心があればお問い合わせを。


開山堂には上杉謙信や徳川家康の位牌も祀られています


廊下ひとつとっても独特の雰囲気があり、見学が楽しいお寺です


座禅堂では特別に座禅体験が行われることも。ふたりの武将に想いを寄せて…

上杉謙信が急死した後、兼続は父と共に幼少から親交があった上杉景勝につきます。その後は「山城守」と称するようになり、藩の内政・外交を担いました。

新発田重家の乱で豪雨により敗北を喫した後は、信濃川の支流を開削するなどで新発田勢を追い詰めることに成功。それは結果的に新潟平野の基礎造りになっています。

また、小田原征伐でも景勝と共に出陣するなど、関東諸城攻略で活躍しました。

その一方で越後の安定にも尽力を注ぎ、農民に新しい田畑の開墾を奨励。越後の平野部では新田開発が進み、それが今日では米どころとして知られる越後の基礎になっています。

元々霊水が湧き出る土地です。その美しい水とマッチして、越後南魚沼は今では全国に知られる米の名産地、そして銘酒のふるさととして名高い土地になっています。

それはもしかしたら、この土地で育った直江兼続の恩返しなのかもしれません。

上杉藩は豊臣秀吉の命で会津に120万石と加増移封され、秀吉没後には徳川家康によって詰問されますが、そのときは「直江状」と呼ばれる書状をもって抵抗しています。

江戸時代に入ると景勝と共に上洛して家康に謝罪、許される代わりに出羽米沢30万石と減移封されました。

その後60歳まで生き、景勝に生涯を尽くした兼続は、米沢の徳昌寺に埋葬されています。

たびたびの困難も景勝の支えとなった兼続。そして、よい家臣に支えられて69年の人生を全うした景勝。戦国時代にあって長寿だったふたりには、雲洞庵のご利益があったのでしょう。


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< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
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