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江戸から昭和にかけて、約400年にわたって銅山の町として繁栄してきた足尾。鉱毒事件の印象が強く、負のイメージが漂うが、日本が近代化していくための重要な産業遺産として再び脚光を浴びつつある。その歴史をたどる際に、ぜひ滞在してみたい温泉がある。
足尾銅山観光
所在地:栃木県日光市足尾町通洞9-2
TEL:0288-93-3240(足尾銅山観光管理事務所)
●入坑料:大人820円、小中学生410円



通洞坑から出るトロッコ列車。坑内の降車場で下り、歩いて展示施設をめぐる


岩盤を削っていく工夫「進鑿夫(しんさくふ)」。坑道を進むための機械も導入された

渡良瀬川を上流に進むと国指定史跡の本山製錬所跡が見えてくる。大煙突は高さ約50m、大正8年建造


足尾温泉  国民宿舎かじか荘
所在地:栃木県日光市足尾町5488
TEL:0288-93-3420
●泉質:強アルカリ性単純泉
●源泉温度:34度
●湧出量:34?/分
●pH:10.0
●日帰り入浴:大人610円(中学生以上)、小学生300円/10:30~20:00



国民宿舎かじか荘。庚申川の林道を上がり、閉鎖された小瀧口のさらに奥にある


庚申の湯の露天風呂。肌がすべすべになるいい湯だ

足尾銅山というと、どのようなイメージが思い浮かぶだろうか。

明治初期、日本初の公害事件となった鉱毒事件、そしてその被害を国会で訴え続けた政治家田中正造。
そのような“負”のイメージがどうしてもつきまとってしまう。
子どもの頃、教科書で教わった印象が、いまも暗い影となって頭にこびりついているからだ。

近年、日本の産業遺産が続々と世界遺産認定を受け、にわかに近代の工場跡が注目を浴びつつある。
2014年6月には群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、続いて2015年7月に福岡県の八幡製鐵所が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に認定された。

製造業でも繊維産業と鉄鉱・造船業が脚光を浴びたわけだが、足尾では鉱業やそれに付随する発電事業、運輸業など副次的にさまざまな産業が生まれ、再評価することは非常に興味深く、大きな意義を持っている。

足尾銅山の歴史は古く、銅山発見は江戸時代の慶長15年(1610)年にまでさかのぼる。

慶安元年(1648)年に徳川幕府の御用銅山となり、産出された銅は江戸城や芝の増上寺、日光東照宮の瓦の造成や硬貨の鋳造に用いられた。
寛永13年(1636)から幕末にかけて使用された「寛永通宝」の一文銭は、足尾の銅を原料として生産されたものだ。
とくに寛永通宝の裏面に、「足」という字が記されているものがある。これは寛保元年(1741)から5年にわたり足尾で生産された「足字銭」だ。

明治10年(1877)、京都出身で生糸輸入商を営んでいた古河市兵衛が銅山を買収し、経営に着手する。
古河はのちに一大財閥へと発展し、古河鉱業を母体として多くの傘下企業を抱えるようになる。

足尾銅山の開発が生んだ鉱毒ガスや鉱毒水は、周辺の環境にも大きな被害をもたらした。
しかし、一方で、日本の最先端工業が、ここを起点に始まったことも事実なのだ。

銅の生産は付随する多くの産業を生み出す原動力となった。

明治23年(1890)には国内でも珍しい水力発電所を建設。
採掘された石を運搬するための電気鉄道や架空索道(ケーブルカー)、精錬工場、電気集塵工場なども併設されていく。

ちなみに古河鉱業に連なる企業出身の技術者は東芝や日立、ソニーの発展にも大きな足跡を残し、古河電気工業とドイツのシーメンスによる合弁会社はいまの富士通の前身となっている。
また現在の横浜ゴムや朝日生命保険、みずほ銀行なども古河財閥から派生した企業だ。

第一次世界大戦をピークに、古河財閥は規模を拡大するが、大戦後の反動恐慌で古河銀行は破綻。
第二次世界大戦後のGHQによる財閥解体によって株式所有の分散化が図られ、それぞれが独立した企業として再出発することになる。

足尾銅山は昭和48年(1973)に閉山。
400年にわたる採掘にもピリオドが打たれた。かつて約5万人が住んでいたという足尾も、いまは静かな山間の小さな町にすぎない。
坑内観光などで当時の面影を垣間見るだけになった。

足尾銅山の坑道は、標高1237mの備前楯山の地下に掘られている。
入口は3カ所。そのうち通洞坑と呼ばれるひとつから、観光として国指定の史跡通洞坑にトロッコで入っていくことができる。

坑道口からわずか数メートル進んだだけで、空気はひやりと一変する。
坑道の長さの総延長は、なんと1234㎞。
1234mの間違いではないかと耳を疑い、にわかには信じられない。

観光として入山できるのは坑道口から約700mの部分のみ。坑道はさらに約6.5㎞先まで、直線で続いている。
トロッコ列車の走る高さを基準として、上に20階、下に15階、高低差にして約1000mの坑道が、縦横無尽に張り巡らされているのだ。
その坑道の距離をつなぐと東京-博多間に匹敵するというのだから恐れ入る。

通洞坑には、採掘の様子を再現した等身大の人形が配置されていて、表情がリアルでなかなかおもしろい。江戸、明治・大正、昭和と年代順に並んでいて、服装や装備の違いも一目瞭然だ。

坑道口の近くには貨幣の鋳造の様子を再現したミニチュアが展示された「鋳銭座」がある。寛永通宝を造る過程がよくわかるようになっている。

通洞坑から通りをはさんだ丘の上にある足尾博物館、渡良瀬川上流にいまも残る本山製錬所跡など、大人の社会科見学として非常に興味深い施設がいくつも点在している。

足尾博物館にはガソリンエンジンでレール上を走るガソリンカーが展示されており、フォード製のエンジンは乗り物好きのファンにとっても珍しく、そうした観点から観光に訪れる人も少なくないのだという。

できればゆっくりと時間をとって、埋もれた歴史を振り返ってみたくなる。

備前楯山の東側を流れる渡良瀬川をいったん下り、今度は山の西側の林道をさかのぼっていく。
廃墟となった小瀧坑口を過ぎ、林道の最終地点にあるのが、国民宿舎かじか荘だ。

建物の手前に、足尾温泉「庚申の湯」の縁起を説明する看板が設置されていた。全文を抜粋してみよう。

<足尾温泉は、昭和46年に古河鉱業(株)が、探鉱中に泉脈を発見したことが始まりで、その温泉を「直利の湯」として昭和52年7月5日から当かじか荘に給湯していたが、足利町が新泉源の開発に着手し、銀山平公園内に湧出をみたので、この温泉を、霊峰庚申山に因み「庚申の湯」と命名し平成8年7月10日に給湯を開始した。(平成9年4月 露天風呂開湯)>

源泉温度が34度と低めのため、施設内の風呂はすべて加温し循環している。
公共施設の色彩が強く、塩素を加えてしまうのも残念な点ではある。

だが、庚申の湯がとても珍しいのは、pH10というアルカリ性の高さだ。
pH10以上になると強アルカリ性単純温泉に分類される。

長野県の白馬八方温泉(pH11.3)や昼神温泉(pH9.6~10.3)など、強アルカリ性の温泉は数えるほどしかなく、とても珍しい。

特徴は湯に入った時のぬるぬるとした肌の触り心地だ。
無色透明でアルカリ性が強い温泉は「美人の湯」と呼ばれ、クセがなく入りやすいために人気が高い。

庚申の湯は、露天風呂から見える風景と開放感がとくに気持ちいい。
群馬との県境に近い、手つかずの山々が眼前に広がる。

宿の支配人のお話では、現在建物の建て替えを検討中とのこと。
泉温が低くても、源泉をそのまま生かしてかけ流しにしている名湯はたくさんある。

佐賀の古湯温泉(37度)や岡山の郷録温泉(34.2度)、山梨・下部温泉(29.6度)など。
温度によらず、自然本来の温泉を堪能したいという気持ちが、温泉ファンにはある。

体を温める浴槽を設け、源泉をそのまま楽しめるかけ流しの浴槽を分けるなど、循環や塩素消毒をしなくとも、温泉本来の姿を楽しむ方法はある。

ぜひ、強アルカリ性のすばらしい泉質を活かした温泉を再構築してほしいと願わずにはいられない。


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日光宇都宮道路・清滝ICから約25㎞、30分。清滝ICから国道120号線を南西に進み、細尾大谷橋交差点を左折、国道122号線に入る。足尾銅山観光のある通洞駅付近を過ぎ、田元交差点を右折して県道293号線に入る。林道は時折クルマ1台分になるのですれ違い注意。庚申川をたどりながら上流に進むと、銀山平キャンプ場の先にかじか荘が見えてくる。
< PROFILE >
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
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