1. Smart Accessトップ
  2. おでかけマガジン(+バックナンバー)
  3. 少しばかりマニアックな体験 廃線跡を行く!
「Smart Access」おでかけマガジン 毎月2回、「Smart Access」会員のみなさまへ、旬のドライブ&スポット情報をお届けします。
トップページへ戻る


経営状態やそのほかの理由により、国内でも廃線となった区間が多くあります。跡地が放置されたままのところもあれば、鉄橋などが名所として残されたり、サイクリングロードに変わったり。少々マニアックな廃線の旅にでかけてみませんか?

ハナウマ湾の北側に位置するココヘッド


ケーブルカー跡を登る。眼下にはハナウマ湾、ハワイ・カイの街並みが広がる


北海道の旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁


数年前にハワイに関するガイドブックやムックを数冊編集したことがある。もちろん、編集だけでなく、執筆や撮影も担当した。

オアフ島に伯父さんや従兄弟が住んでいたから、初めてハワイを訪れたのは17歳の時である。

伯父はハワイに暮らす太平洋考古学者だった。昨年、亡くなった際に、ビショップ博物館でメモリアルセレモニーが開かれた。ぼくも参列したが、彼の功績はビショップ博物館や、荒俣宏氏との書籍『楽園考古学(平凡社刊)』に見ることができる。

功績の一つにタヒチにおける「ホクレア号」タイプの大きなカヌーの発見がある。復元されてホクレア号と名付けられたカヌーは、「古代ポリネシア人はカヌーでハワイにやって来た」という説を証明するために、スターナビゲーションを屈指して太平洋の大航海を実施、それに成功する。

叔父のセレモニーにはホクレア号の船長やタヒチなどの人々も参列し、スピーチや魂の舞いを披露してくれた。

そんなわけでハワイ本出版以前からハワイに親しんでいたから、ダイヤモンドヘッドにも数回登頂していた。おすすめは土曜日で、雄大な日の出をダイヤモンドヘッド山頂で眺め、下山してから土曜日のみに開催される山麓のKCCファーマーズマーケットに立ち寄る。登山と景色、そしてファーマーズマーケットならではの“買い食い”を一度に楽しめるのだ。

ダイヤモンドヘッドには数回登っていたが、本の取材のために初めてココヘッドに登頂することになった。ハナウマ湾の後ろ側にそびえる単独峰だ。これがきつい! 

ケーブルカーの配線跡を登るルートなのだ。

筑波山だって、六甲山だってケーブルカーは直登する。ココヘッドも同じ。廃線は山麓から山頂に向かい、一直線に伸びている。枕木跡は歩きにくいし、一直線だから休み処があまりないし、ときには鉄橋跡と思われる線路の下が空間になっている箇所もある。

山頂からハナウマ湾も、太陽に輝く海も、ハワイ・カイの街並みも見えるが、「二度と登りたくない」が正直なところだった。

平成14年に廃線となった南部縦貫鉄道のレールバス(青森県七戸町)


魚梁瀬森林鉄道「立岡第二号桟道」(昭和8年建設)


軽自動車なら通れる「明神口橋」(昭和4年建設)


その昔、旧国鉄の線路は全国に張り巡らされ、地方都市を結ぶ多くの私鉄やレールバス路線などがあった。

林業用のトロッコ列車線路が、まるで蜘蛛の巣のように山中に敷かれていたという場所も少なくない。

しかし、今日では経済状況の変化や林業の衰退などで、ずいぶん多くの路線が廃線となった。

旅雑誌の仕事をしているから、ずいぶん廃線跡にもでかけた。線路跡がサイクリングロードに改修されている場所もあった。トンネルを利用してワインなどを醸造させているところもあった。

北海道美深町では昭和60年に廃線となった旧国鉄美幸線の線路を利用したトロッコ列車で遊んだ。夏の日だったが、トロッコ上で感じる風はとても爽やかで、林の中を行くのが気持ちよかった。

同じ北海道でも旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁となると、それを見るだけで貴重な体験になる。

このように、さまざまなところで廃線となった線路がそれぞれの土地で観光名所となったり、あるいは新たな観光施設に生まれ変わったり、現在の生活に基づいて再利用されるケースは珍しくない。

四国の高知県東部。室戸岬の北側の広大な森林地帯は、地名をとって「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」と呼ばれる高品質の木材が伐採されるところでもあった。

そのために、森の中には林業用のトロッコ列車の線路が複雑に敷かれていた。

山中から安田川に沿って海岸の街・安田へ降りるものと、山中から奈半利川に沿って奈半利の港まで降りる線路が大動脈である。

山中ではまるで毛細血管のように、いくつもの支線に分かれ、伐採した杉を運ぶだけでなく、地域住民の足としても使われていた。

安田や奈半利には製材工場が建てられ、木材を上方に運ぶ運送業者も集まってきた。魚梁瀬杉で財を築いた人たちの大きな屋敷が奈半利や安田に建った。

明治後期に軌道が敷設された森林鉄道は、林業の低迷によって昭和39年に全線廃止となる。

川に架かる橋、トンネルなどは残るものの、そこに線路があったことは時代とともに忘れ去られていった。

美しい姿の二股橋


昭和15年建築、コケが歴史を物語る


かつて魚梁瀬杉を運んだ森林鉄道の線路跡は、現在では自動車道になった。

安田から馬路温泉を通って魚梁瀬湖に続く道と、奈半利から奈半利川に沿って北川村を経由して魚梁瀬湖に続く道だ。

魚梁瀬湖には観光施設として短い距離を走る森林鉄道も整備されているが、それ以外は山道の風情で、かつて列車が走った面影は感じられない。

しかし、鉄橋やトンネルが現れるたびに、クルマを止めてそばに設置された案内板をのぞき込むと、それが森林鉄道の施設だったことがわかる。

畑の上に残る立岡第二桟道では、下で畑仕事をしていたおじいさんが、「近頃はこの桟道を観に来る人も増えたねぇ」と笑った。

安田川に架かる明神口橋は軽自動車までなら通れる橋に姿を変えた。

昭和7年に建設された鋼トラス橋・鋼ガーダー橋の小島橋は、雄大な姿を見せる(タイトル横の橋)。

二股橋は橋の長さ46.5mのコンクリート製2連アーチで、その形状は非常に美しい。近寄ってみると、石にはコケが生えている。この橋が長い歴史をもつのが理解できるのだ。

ちなみに、昭和15年に建設されたこの橋が石製なのは、戦争のために鉄材の使用が規制されていたためだという。

これらの森林鉄道の施設は、そのほとんどが国指定重要文化財となった。

また、歴史的経緯や地域の風土に根ざしていること、地域の魅力を発信する明確なテーマがあること、地域の歴史や文化財としての価値に加えてストーリーがあることなどの要素を満たしていた。

「森林鉄道から日本一のゆずロードへ ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化」として“日本遺産”に認定されたのは平成29年のことだ。

木材を運んでいた森林鉄道とその軌道は消えた。しかし、明治から昭和にかけて建設されたトンネルや橋は残った。それらは今、自動車道になって地域の名産品である“ゆず”を市場に送る役割を果たしている。

「おでかけマガジン」より、みなさまへ読者プレゼント実施中!

●コラムに関連のあるサイトは?

◇美深町観光協会 トロッコ列車
http://www.bifuka-kankou.com/torokko.php

◇青森県観光情報サイト 南部縦貫鉄道レールバス
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00003849.html

◇魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム
http://rintetu.jp/
< PROFILE >
篠遠 泉
休日と旅のプロデューサー。主な出版物に『ぶくぶく自噴泉めぐり』『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがあるほか、『温泉批評』『旅行読売』などに執筆中。観光地の支援活動も行っている。
  • スポット特集
  • B級グルメ特集
  • オートキャンプ特集
  • レジャー&リゾート特集
  • ロケ地特集
  • 絶景特集
  • 子供といっしょにお出かけ特集
  • 特産品・名産品特集
  • 温泉・スパ特集