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世界の果てまで行くような“冒険”ではないけれど、なにかを体験することは小さな冒険の始まり。これまでにさまざまな経験をしてきた筆者が、自分なりの冒険に出たきっかけは、ある冒険家にありました。

カウアイ島でシーカヤックを体験


18日間世界一周スキーの旅を決行


ニセコや天竜川でラフティング


ヒゲをたくわえた大柄な外国人で、その昔、ハムのコマーシャルに出ていた人をご存じだろうか?
彼の名前はC.W.ニコル。
1940年、ウェールズ生まれの作家であり、環境保護活動家、探検家である。



27歳になった頃。ぼくはそれまで勤めていた雑誌編集部から書籍出版部への異動命令が下された。
先輩たちは経済書や、健康本などの企画を立て、それらを単行本に仕上げて書店に送り出していた。
しかし、30歳前のぼくは、そういう“お堅い本”に不向きだった。
毎日のようにネタを求めて歩いた。銀座のギャラリーやデパートの企画展を訪れ、さまざまな本に目を通し、映画を週に2~3本観た。
そんなときに、C.W.ニコルさんが所属する出版エージェントの社長と出会った。
ぼくは会社を訪ね、彼の著書を見せてもらった。
『ぼくのワイルド・ライフ』、『C.W.ニコルの青春記』などの魅力的な本が目の前に並ぶ。



二十歳のころにウェールズを旅立ったC.W.ニコルさんは、極地スタッフとして北極圏に赴任する。
イヌイット(北極地区のネイティブの総称)と親しくなったのもこの頃だ。
以降、カナダで調査捕鯨に従事、場所を一気にアフリカに変えてエチオピアで猟区管理人となっている。



彼が日本にやって来るまでの経験だけでも魅力的だった。北極やカナダ、アフリカの自然を知っている。自然の宝庫と呼べるはずの、それらの地が次第に破壊されていくのも見ており、心を痛めている。
ぼくは、彼の本を創りたくなった。
エージェントの社長に頼み込み、新書という形態で、『C.W.ニコルの自然記』を出版したのは、1986年のことだ。
コラムを中心にしたこの本はすぐに重版し、以降『C.W.ニコルの旅行記』、『C.W.ニコルの野性記』『C.W.ニコルの海洋記』と4冊を3年のあいだに出すまでになった。



編集者として彼の体験や冒険を読むだけだったが、そのうちにぼくの魂にも火が付いた。
出版社に入る前は外務省の仕事でパキスタン・カラチ総領事館に勤務していたこともある。その時に東南アジアを列車旅したり、アフガニスタンにひとりで行ったり、エジプトやヨーロッパも旅した。
今後の人生において、できるだけの経験をしてみようと決意したのだ。

カナダ北部で犬ぞりを体験


アラスカとカナダでオーロラを見た


敦煌に行くのが夢だった


ウィスキーが注がれたグラスの中で、氷がピチッと音を立てた。
氷に閉じ込められた空気の弾ける音だ。



“環境保護活動家”という肩書きは、ほんの一部の過激な集団がニュースなどでクローズアップされるため、どことなくヒステリックに見える場合もある。
実際には貴重な調査に基づき、地球を守るための活動をしている人々がほとんどだ。
しかし、調査捕鯨船に体当たりをしたというニュースが放送されると、一気にそんなイメージが広がってしまう。



C.W.ニコルさんも環境保護活動家である。調査捕鯨に関わったこともある。
そのために、彼の著書などを知らなければ、日本の捕鯨に反対の立場であると勝手に思ってしまいがちだ。
ぼく自身、彼の著書を読むまでは、そんなイメージを抱いていた。
しかし、彼はぼくら以上に日本の捕鯨と捕鯨文化を理解していた。その証拠に、日本最後の捕鯨船団に砲手として参加した瀬古砲手を想った詩を、ぼくが出版した書物のなかで披露している。



日本最後の捕鯨船団が南氷洋に向かう頃、もしかすると日本国内で彼らをいちばん擁護し、捕鯨は日本の貴重な文化であると声を大にしたのはC.W.ニコルさんだったかもしれない。



その気持ちは捕鯨船団の乗組員にも十分に伝わった。
捕鯨はそれぞれの船員の役目が終わると、立ち寄った港で下船して飛行機で日本に帰る場合がある。
最後の捕鯨船団員も、役目を終えた船員が飛行機で日本に帰国した。そして、帰国直後に東京のホテルで開かれた日本の捕鯨と捕鯨文化を題材にしたC.W.ニコルさんの小説『勇魚』の出版記念パーティーに駆けつけた。



グラスの中で弾けた氷は、捕鯨船団の乗組員が飛行機で持ち帰った南氷洋の氷だった。
とても冷たいオン・ザ・ロックだった。しかし、その味は人間味にあふれたあたたかさがあった。C.W.ニコルさんという冒険家への賛辞が含まれているように感じた。

太平洋、カリブ海、海は美しい


クルーズ船で朝焼けのモナコに到着


ぶくぶく自噴泉を堪能する


書籍出版部に4年いた後、ぼくは雑誌編集部に戻った。
所属したのはウインタースポーツのセクションだ。



この時期、バブル景気もあって海外から取材の誘いも多かったし、今から考えれば信じられないような企画が通った。
たとえば、アラスカ州からのお誘いでエクストリームスキー選手権を観に行った。宿泊したのは小さな港沿いのホテルで、港内にはビーバーが浮かんでいた。
アメリカ・オレゴン州では山スキーに挑戦した。
「18日間世界一周スキーの旅」を企画実行したのもこの頃だ。香港経由で欧州に渡り、スイス、フランス、イタリアで滑ってからニューヨークで休憩、ネバダ州とカリフォルニア州を滑り、カナダでのヘリスキーを体験してから帰国した。



ウインタースポーツ誌の後はアウトドア雑誌を担当、同時に旅雑誌にも関わった。
この時期に行った最大の冒険はハワイ・カウアイ島でのキャンプだ。ホテルに泊まることなく全泊をテントで過ごし、無人のビーチへのトレッキング、ナ・パリ・コーストをシーカヤックで8時間かけて渡った。



出版社を辞めて独立してからも、旅の仕事を主にしたために、中国のシルクロードを2700km走破したり、オーロラを見にカナダ・イエローナイフに行った。
井上靖の『敦煌』を読んだのは中学3年の頃だ。以来、敦煌はいつか行きたい場所だった。それが、45年後に実現できたというわけだ。



さらに、クルーズの仕事に関わって、地中海クルーズも数度楽しんだ。
湯底で湧く“ぶくぶく自噴泉”を全国に訪ね、それを1冊にまとめることもできた。



すべてが冒険だった。こんな体験ができたのも、もしかするとC.W.ニコルさんの人生に触れたからだと思う。
体験から始める冒険。それは人生を確実に楽しいものにする。

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< PROFILE >
篠遠 泉
休日と旅のプロデューサー。主な出版物に『ぶくぶく自噴泉めぐり』『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがあるほか、『温泉批評』『旅行読売』などに執筆中。観光地の支援活動も行っている。
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