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福島市から山形県米沢市に至る板谷峠は、群馬・長野県境の碓氷峠と並び、日本で最も急峻な鉄道ルートのひとつだ。江戸時代にこの板谷街道を整備した武士のDNAは、いまも奥土湯の秘湯に受け継がれている。

高速道からのアクセスは至便なのにもかかわらず、秘湯気分を十二分に満喫できる

奥つちゆ・秘湯 川上温泉
所在地:福島県福島市土湯温泉町字川上7
泉質:単純泉
源泉:57.2度~93度
日帰り入浴:9:00~21:00(金15:00~)
入浴料金:大人500円、3歳~小学生300円
*浴槽は「立湯・万人風呂」「穴湯・半天岩窟風呂」を日替わりで男女入れ替え
TEL:024-595-2136
東北への旅は、いまでこそ新幹線やクルマで片道数時間で行けるようになったが、つい50年ほど前は、高速道も新幹線も整備されていなかったのだから、時代の流れというのはおそろしい。  

いにしえの街道をたどるにも、荒れた山道に変わり果てているのはまだいいほうで、すでに大きな幹線道路に吸収されていたりすると、面影を探すことのほうがむずかしくなる。  

福島市から山形県米沢市に抜ける板谷街道も、そのひとつだ。  

現在、クルマで県境を越えるときには、国道13号線を利用することになる。
国道13号線が開通したのは昭和41年(1966)。
それ以前は明治13年(1880)に開通した万世大路を利用していた。

さらにその前は、となると、伊達、上杉が活躍する戦国時代から江戸初期にかけて、米沢地方から福島地方を支配するためにこの街道を拓いたのがはじまりとなる。江戸時代には米沢藩の参勤交代路として整備された。

この板谷街道の県境、板谷峠というのが、じつはクセモノの難所なのだ。

東北地方の中央には南北に奥羽山脈という背骨が横たわっており、東から西へ抜けるには必ずどこかで峠を越えなければならない。

山形新幹線に乗ると、福島を過ぎてこの板谷峠にさしかかったころに、キャビンアテンダントが「峠の力餅~」と声を出して銘菓を売りにくる。

板谷峠は群馬・長野県境の碓氷峠と並ぶ難所として知られ、現存するJRの幹線で最も急勾配の区間となっている。

急峻な地形と豪雪地帯という厳しい自然条件が重なり、奥羽本線(現在の山形新幹線ルート)の着工以来、明治32年(1899)に開通するまで、約5年の歳月を費やしたほどだった。

4駅にわたって連続でスイッチバックしなければならないほどの急勾配だったのだが、線路の拡充と車両性能の向上が進み、平成2年(1990)になってようやく廃止された。
このうち山形県内の3駅のスイッチバック遺構が、経済産業省の近代化産業遺産として認定されている。


川上温泉の「立湯・万人風呂」。浴槽の傍らには子ども用の浮き輪が用意されている


名物「半天岩窟風呂」。温泉というより、巨大な岩の部屋。奥の岩肌から湯が注がれているのがなんとも神々しい
じつは、原稿を書く参考として、手元のパソコンでウェブを眺めているのだが、資料のひとつとなった『福島県史料情報第8号』の『奥州信夫郡李平村絵図』に、阿部薩摩という上杉藩の家臣が登場する。

前置きが長くなってしまったが、阿部薩摩は、これから登場する温泉宿の始祖といわれている人物なのだ。

板谷街道の福島県側から米沢城下へは、庭坂、李平(すももだいら)、板谷、大沢といった宿場を通る。そのうち李平宿は阿部薩摩によって慶長18年(1613)に拓かれたとある。

まさに阿部薩摩こそが、日本最大の難所のひとつである、板谷峠を切り拓いた本人だったのだ。

阿部薩摩は李平宿のほかに、福島市の笹谷地区を開拓したと伝えられている。

福島市から土湯温泉までは、南西に約20kmの距離があり、阿部薩摩の子孫がその後、どのような理由でこの地に居を構えるようになったのかは定かではない。
ただ、上杉家は、上杉綱憲家督相続の寛文4年(1664)、30万石の所領を15万石に半減されている。
土湯温泉のある信夫郡と伊達郡は、米沢藩の所領だったのだが、幕府に召し上げられて一時的に天領となる。
その後、信夫郡は福島藩領や天領、他藩飛び地など、村単位で統治されることになる。
こうした経緯が、土湯温泉に宿場を開くに至った一因なのかもしれない。

時代が移り、江戸が明治に変わる激変期になると、阿部家の温泉宿は、戊辰戦争(1868-1869)で会津藩に家屋を焼き払われるという不幸に見舞われる。

土湯を追われた阿部家は、現在の川上温泉がある場所よりもさらに100mほど上流に宿を構えた。しかし、追い打ちをかけるように、明治10年(1877)に山津波が襲い、宿は崩壊する。

現在の場所で再スタートを切ったのは、昭和16年(1941)のこと。

温泉までの道を切り拓いたのは、現在の当主の祖父に当たる。

 土湯温泉街から荒川をさらに上流へ上がったところに「川上温泉」はある。
「日本秘湯を守る会」の提灯が、旅行者を出迎えてくれる。  

自家源泉は6本。
自然湧出で、そのうち3本の源泉を混合して引湯しているのだが、高温のため、一部浴槽では湧水で温度調整をしていることを堂々とうたっている。



料理は素朴な山のごはん。ご主人は冬虫夏草に詳しく、冬虫夏草酒や汁物が振る舞われる
湯量はかなり豊富だ。冬には融雪に温泉が使われるという。
泉質は単純泉で、無色透明で、ほんのわずかに温泉臭が漂う程度。
これならクルマに積もった雪を温泉で融かしてたとしても問題ない。  

内湯である「立湯・万人風呂」は、タテ約10m、横4m、一番深いところで1.2mというプールのような温泉だ。
入ってみると、立湯という命名がよくわかる。  

川上温泉にはもうひとつ、名物の「半天岩窟風呂」がある。
職人が1年半かけて岩を手掘りして作った、半分露天の洞窟風呂。
奥行6m、深さ0.85mもあり、洞窟の奥では岩の隙間から源泉が毎分120リットルも湧き出ている。
湯床は青森ヒバなので、ごつごつとした岩が尻に当たることはない。  

ともに日帰り入浴が可能だが、残念なのは、これらが男女別に仕切られてはいないこと。
そのため男女が日替わりになる。
宿泊をしなければ、両方の浴槽に入ることができないというのも、興をそそられる要因になっているのかもしれない。  

それにしても、「半天岩窟風呂」は、その規模の大きさに驚かされる。
木造りの露天風呂としては県内一の大きさというのもうなづける。  

主人は朴訥として、客人へのサービスや配慮を積極的に表現しないタイプなのだが、どんな困難があろうとも、それを克服していこうという気概が、このスケールの大きな湯船からひしひしと伝わってくる。

それはまさに、日本随一の難所である板谷峠と宿場を開発した、阿部薩摩のDNAなのかもしれない。

東北自動車道・福島西ICより13km、クルマで20分。国道115号線から県道52号線を入り土湯温泉街へ。観光案内所を過ぎ、大きいこけしが目印の荒川大橋を渡って川を遡上すると川上温泉へ至る。国道115号線のバイパス開通にともない、カーナビだと混乱する可能性があるので、道路標識優先でとのこと。
< PROFILE >
長津佳祐
観光やレジャー、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。ブログ「デュアルライフプレス」
http://blog.duallifepress.com/
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