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松山藩の玄関港だった倉敷は、1642年に代官所が置かれて幕府天領の地になりました。以降、倉敷は幕府の物資集積地であり輸送港として発展、川沿いに白壁の土蔵が並びました。阿智神社は倉敷の古い街並みを見下ろす高台にある神社です。

あちらこちらに白壁の蔵が残る美観地区


阿智神社拝殿


その昔、“天領”と呼ばれる地域が全国各地にありました。

一つは天皇や朝廷の領地を指します。もう一つは江戸幕府の直轄領を言います。とくに後者は全国に広く分布し、郡代や代官を配置して幕府はその土地を支配しました。

幕府天領の地は、全国51カ国と1地域に及んだといいます。新しい開拓地であった蝦夷地(1地域)を除けば、そのほとんどは交通の要衝や商業の中心地、金山や鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地でした。

いずれにしても、江戸幕府の財源となったのです。



岡山県の倉敷も天領の地でした。

倉敷はその昔は“阿智潟”と呼ばれる瀬戸内海に面した浅い潟でした。しかし、高梁川によって運ばれる土砂によって徐々に潟は埋まり、1584年の宇喜多秀家による新田開発によって開拓されました。

その後、松山藩の玄関港となりいちやく発展します。倉敷は松山藩が上方へ物資を輸送するための中継地としました。

さらに、1642年に代官所が置かれ、江戸幕府の天領地になります。以降、周囲の物産の集積地となり、倉敷川の両側には白壁の土蔵が並びました。

輸送基地ともなれば商店なども整備されます。酒蔵や家具店、桶屋などの職人たちも集まってきて街は隆盛を極めました。



江戸幕府が消滅して約150年、倉敷川畔には今でも白壁の蔵が並びます。川畔から本町、東町といった昔の面影が残る地域は現在「美観地区」として保全されています。

蔵の内部はみやげ店や食事処などに変わっていますが、蔵と細い道を走る人力車、川の上を行く「舟流し」は情緒もたっぷりで、観光客を一度に虜にする魅力が溢れています。

天領の地であった倉敷を見下ろす高台に阿智神社はあります。創祀り1700年を超える古い神社で、主祭神は宗像三女神です。この神社は高台から倉敷の移り変わりをずっと見守ってきたのです。

応神天皇たち十九の神も祀る


風情ある川沿いに白壁の蔵が残る


大原美術館も美観地区にあります


阿智神社の御神徳は「交通安全」「海上安全」「商売繁盛」に加えて「美容健康」「芸能上達」があげられています。

江戸時代以前から上方への海上交通の要衝でしたから、倉敷の人々が交通安全や海上安全、商売繁盛を祈願してきたのは容易に想像できます。

そして、美容健康と芸能上達。日本で芸能といえば能や歌舞伎などがまずは思い浮かぶと思います。

しかし、私は倉敷においてはひとりの実業家が思い描いた「世界の素晴らしい芸術を日本人にも触れさせたい。そこから若い力を育てたい」という思いも感じてしまうのです。



ニューヨーク近代美術館がオープンした翌年の1930年(昭和5年)、倉敷に大原美術館が開館しました。

倉敷紡績(クラボウ)や倉敷絹織(クラレ)、中国水力電気会社(中国電力の前身)などの社長を務めたのが倉敷の実業家・大原孫次郎です。

美術館そのものが日本に少なかった昭和初期、彼は倉敷に美術館を開館させました。プロテスタント信者との出会いにより、「事業で得た財を社会へ還元する重要性」に気づき、その一つとして美術館の設立を実現させました。

本物を知れば、観た人の感性や芸術性は育ちます。美術館の開館は、日本に芸術を育てる礎になりました。



大原は美術学校に通う生徒への援助も行っています。岡山県内に生まれた小島虎次郎も援助を受けました。さらに、児島はヨーロッパへの留学資金の援助も大原から受けています。

画家としての活動をヨーロッパでする児島には、もう一つの使命がありました。大原の依頼による絵画の買い付けです。

クロード・モネのジヴェルニーのアトリエを訪ねて「睡蓮」を、カミーユ・ピサロの作品を、そしてエル・グレコの「受胎告知」などの名作を買いました。

児島以降に留学した日本の若き画家も同様に絵画を買い付け、それらの作品や棟方志功などの日本美術、現代美術などの数多くの作品が大原美術館に展示されています。

天領の地ではなくなった倉敷ですが、ここでは美術を志向する人々にとっての貴重な作品が鑑賞できるのです。

小高い阿智神社に上ると、眼下には美観地区の蔵と、大原美術館を望むことができます。


【おまけ動画】阿智神社より美観地区を望む-大原美術館も見えます


本町や美観地区を人力車が走ります


日が暮れた直後の美観地区


舟流しは500円で体験できます


倉敷駅から美観地区までは歩いて10分ほど。美観地区まではアーケードのある商店街を歩くので、この10分は飽きることがありません。

アーケードを抜けるとすぐに阿智神社に続く鳥居が見えます。しかし、まずは美観地区をぐるりとまわってみたいものです。

美観地区に入ると外観は昔の面影があるのに、中はおみやげ店や飲食店になっているお店が軒を連ねています。

しばらく行くと、右手に洋館風の建物が見えてきます。この地域は比較的背の低い建物が多く、その建物も現在のビルのような高さはありませんが、威風堂々としています。これが、1930年に竣工した大原美術館です。

美術館方向に続く蔵と土塀の間の路地をいくと、視界が一気に開けます。観光客がカメラを構えるのもこのあたりです。

倉敷川が姿を現し、川には船頭が櫓を漕ぐ舟が浮いています。川沿いにはさまざまなお店があります。川の流れに沿って「逆くの字型」に続く道を川の右側、左側と往復したいものです。



白壁通りに出て左折すると「倉敷アイビースクエア」に出ます。ここはかつては代官所だったところ。明治以降は倉敷紡績所の工場となりました。

現在ではホテル、ショップなどに使用されていますが、レンガ造りの外観と、アイビーが壁に生えている姿は風情があります。

古い街並みが残る本町をまわると、酒蔵のそばに阿智神社に続く階段が設けられています。ここから一段、一段と阿智神社に上るのが私のおすすめの倉敷美観地区散策ルートです。

先ほど観た白壁の店が徐々に小さくなっていき、その山頂に阿智神社が鎮座しています。

あ、そうそう。倉敷は「きびだんご」や「フルーツジェラート」などの岡山名物を扱うお店も多いのですが、最後に私の推薦スイーツを一つ。

古民家を利用した有鄰庵の「しあわせプリン」です。築100年以上の古民家の樹齢900年のトチの木のテーブルで食べる、ニコちゃんマークが描かれたプリン。「食べたら幸せになった」という声も寄せられているパワースイートなのです。

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【おでかけのヒント】

●阿智神社
https://achi.or.jp/

●倉敷市観光WEB
https://www.kurashiki-tabi.jp/
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
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